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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

フェイスブックのコメント 1

渡邉さん、NHKが先祖旅の番組を作っていますが、殆どがでたらめです。先祖が偉い、立派な人だったら、子孫はその名を汚さないようにと生きてきたはずです。今生きている人の生き方、考え方を見ると先祖の姿が見えてきます。この人は渡邉さんが言われる事に間違いはないでしょう。宝田明、梅宮辰夫、高倉健、菅原文太とこの人には共通点があります。日本人にない骨相と体格と髪の毛の多さです。日本人は歳とともに髪の毛は薄くなります。それだけを比べても日本人ではないと言えそうです。そのほかの細かいところは割愛します。NHKには系図をさかのぼる専門家はいないでしょう。これなども国民に誤解と錯覚を与えているものです。日本には古来から、30、300、3000と言う家族が存在しています。その人たちによって日本国は創られ維持された、今もされていると考えた方が正しい。この人たちは表に出る事はありません。普通の生活をしています。小松左京の「日本沈没」で日本民族を救う一人の老人が出てきますが、この人は30家族の一人でしょう。ロチャイルドのように金の亡者ではありません。古代から受け継いだ財産をこの国が滅亡すると言う危機に備えて維持しているのです。そのためにのみ生きていると言う事なのかも知れません。この話は、私の父から聞いたものです。また、みなさんも知っているのかも知れません。純潔の大和の血を受け継いでいる人達です。私たちはその大和の血を守らなくてはなりません。だが、NHKはなぜ今頃家系を取り上げ放送するのか、何か裏がありそうです。

関連している事を少し…。教育評論家と言う人達が教育を駄目にしている…。たとえば、生徒にペーハーテストをして採点し評価する、これを教育とは言えないと言う事です。子供たちには埋もれた才能がありそれを掘り起こすのに試験で評価をすることなどできません。試験をするという事は子供の学力を図るのではなく、教師が採点して教え方が正しいのかを反省する事なのです。そんな学力主義ではまっとうな人間は育ちません。無辺の可能性のある子供達の将来を試験で推し量る、あくまで試験は教師の教え方が正しかったかの基準を知るためにすべきなのです。その弊害が今の舛添氏やあまたの議員なのです。そして国民なのです。浅ましい賞を欲しがる人達なのです。まず国民はこの人なら任せることのできる人なのかを見極める目を持たなくてはならない、それには今教育では無理です。総てそこに起因していると考えます…。

渡邉さん、岡山の事はさておいて、また、舛添の奇行蛮行を許している都民は何を考えているのかと思います。都議会は何をしているのでしょうか、都議員は何のためにいるのでしょうか。また、区長、区議は仕事をしているのでしょうか。地方から見たらもう東京都はでたらめです。議員と名のつく人は日給制にすべきなのです。また、40パーセントの投票率で当選する事のない制度を作るべきなのです。国民県民市民の信託は民主主義から言っても合理的ではありません。棄権票は立候補者に対しての批判の行動です。日本の政治家の姿勢を糺すのは主権者の国民です。あまりにも愚かで貧しい人たちが立候補をしている現状を嘆いています。かつて、岡山県は全国でも有数の教育県でした。が今は40番に落ちています。なぜそのようになったかを分かっていません。教育の意味が分かっていないのです、教育環境に何が一番大切なのか、子供たちに朝食が準備されている家庭です。今は家庭教育において両親が学校に丸なげをしている現状です。塾にやる事ではありません。夕餉を囲む一家だんらんから安らぎを学ぶ事なのです。こころの平安です。なぜその事を行政には分からないのかと思います。そんな最低の家庭教育もなされないから、舛添、や、金に目のくらんだ議員が跋扈しているのです。たとえば、何かの賞を貰い賞金を授賞パーティー二使う、その人たちはそこで終わるのです。終わらせないためには賞金を社会のために拠出する事でその人はその後の仕事が出来るのです。日本人は金の使い道を忘れたのか知らないのか、そんなに貧しい心しかもっていないのでしょうか。日本の現状は自分が出来る範囲で人の役に立つ精神の復活を持って喜びに変える生き方をしなくては世界の先進国と同じ道をたどる事でしょう。これは東京都の舛添氏だけの問題ではない事を 国民は知らなくてはならない、が、当面目の前を飛びわずらわしいものをたたき落とす事でもあります…。

私はこの二回地方選挙を棄権した。権利を放棄したのではなく党も候補者も付託する人がいなかった。国政も地方も真剣に国民を県市民の事をなにも考えず給料泥棒だと思ったからだ。地方議員は年間80-100日しか議会がない。そのほかの日は一体何をしているのか、県市民の声を全く聞こうとしない、県市民に関心がなく目も向けていない。候補者の名前を書く事は出来なかった。選挙率の低下を批判票だという考えは全くない。30%の投票率で当選するなど恥ずかしいという事も思っていない。50%の投票率でなければ当選はないという世界の国々の例に習うべきなのだ。共産党の行きあたりばったりのあり方が国民に支持されているとおめでたくも思っている、民進党の理論なき発言には国民はもう気がついていなくてはならない。その野合は泥船でしかない。野合は自滅に導くと言う考えもない。たとえば、杉良太郎が熊本に支援に入り刑務所で歌を歌い復興をと言う記事など、おかしくて笑ってしまった。この時だけ堂々とマスコミ受けするために顔をさらしている姿は売名行為にすぎない。だが、東京にいるときにはマスクをしサングラスをかけ帽子を深くかぶって変装しているのだ。戦争法案と叫ぶのならここでははっきりと自衛隊は支援活動を辞めろと言わなくては道理が合わない。そして、地震予知の誤報をしたマスコミに対しても責任の追及をしなくてはならないだろう。いまの日本はその矛盾に満ちた行動をする人たちであふれている。国民の事は一切考えず金儲け保身だけが罷りと通っている。またその行為を善意と感じる劣化した民度が蔓延している。熊本の災害を無視してと安倍総理が北欧にロシアに外交に出ている事に対しての批判もある、が、考えても見てほしい、福田総理の時の洞爺湖サミットの時の失敗を、安倍総理は日本はこう提言すると言う地ならしに言っている事を国民は振り回されずに受け止めなくてはならない。舛添のように遊びで外国に視察をしているのではない事を認識する国民はどれだけいるのか。まず国民は政治と主権者の対立を望まなくては救われない事を感じなくたてはならない。この国のため…。

広瀬さん、もうFBに書きたくないと言う気持ちでいました。この対談を読んでこの程度の人の本が売れている事にまず驚いた。どこを見て動いているのか。現象の元に政府の無能な行政がある、これは一つの現象であり日本国民の幼児教育の問題である事に気づいていない。また、人間は生物であることにも触れていない。経済的と言う事で人間の本能まで縛ろうとしている。貧しく器量が悪い人達に需要がある筈がない、韓国の例を取ればそれは歴然として分かる。なぜ整形するのか、しなければ需要がない。なぜ体を売ってまで大学に拘るのか、奨学金に縋り大学に通っても知識ね心も養わないでは社会に受け入れてもらえるはずがない。また、そんな人が体を売ろうとしても買い手が出るはずがない。生物して人間にオスとメスが誕生して以来この事は永遠に続いている葛藤である。世界の宗教も何の手立てもない。むしろそのなかに埋没しているのが現状である。この問題は取り締まるのではなく淘汰を待つしかない。世界の日本の歴史を見ても性の問題は糜爛のあり様を続けいる。文明が人間の本能を奪っている。その時期にいくら本能(セックス)で生きようとしても生きていけない時期が到来している。芸能界にその縮図がある。みんなそれに習っている。風俗、AVも韓国に凌駕された。今、私が懸念しているのは主婦による不倫の増殖である。これはお金のやりとりではなく快楽であるだけに余計に落胆させられる。それも高学歴の女性たちなのである。快楽が欲しいのなら結婚なんかしなくてその道のプロになればいい。経済とこの性の問題を混同して語ってはならない。人間は生物で種の保存を尊ばなくてはならない事、まずその事に目覚めなくては、人類はこのままでは滅ぶしかない。し、道徳も崩壊する…。

今、女性に言いたい、「女性の参政権」とは何かを考えてくれませんか…。はたして女性議員は女性のために何か政策を立案していますか。同一賃金、男女平等参画、出産育児など、女性が社会に参画できる環境を作ってくれていますか。それを推し進めてくれる議員をなぜ選ぼうとしないのでしょう。女性にしかない幸せについて真剣に考えなくては出産も、育児も、保育所も、生まれません。なぜ韓国の学校に土地を貸すことにたいして女性は保育所を作れと立ち上がらないのですか。女性は二人の子に恵まれてに反発をするのでしょう、あの校長の言葉の全文を読んでください。どこに女性に対しての批判がありますか、男の横暴がありますか。本来ならこの日本に少子化担当大臣などいらないのです。
問題があるのなら「女性の参政権」を使って社会を変える事を考えてください。この日本には人口の半数は女性です。女性の向上を、権利を主張するために主権者になっているのです。女性の方考えてください…。

「曇りのち晴れ まいあさ通信」2016/4/4

「あさがきた」が終わった。なんでも近年にない高視聴率であったと言う。
この現象を韓流ドラマとかぶせると怒られるだろうか。
実在の女性の自伝ドラマとは言え、もう少しまじめに作って欲しかった。維新から明治期の背景がおぼろである。そこで演じられるもの、あくまで作り事としてみさせる事を念頭に置いていた。物語しては平凡で、登場人物も時代を背負っているようだが背負い切れていなかった。三井財閥の娘が大坂の両替商に嫁ぎ色々な物語を作り、日本女子大学を、大同生命を作るまでの物語、明治のそうそうたる人物が出てくるがこれは添えもの、主人公のいないドラマ、これはあくまで原作はありとしての創作であることの認識が見る者には必要である。私ががっかりしたのは台詞のない大坂商人を演じた役者かエキストラの品のなさであった。大坂を背負う人達に人品がまるでない、ただ数を合わせたという横着ぶりであった。また、びっくりしたのは大坂で女の節句の雛が京雛ではなく関東雛とはあきれた。が、ここに登場した一人一人の人物描写は書き手の大森美香さんの技量が際立っていた事で救われた。私は一人のこれから伸びるであろう役者を一人感じとった。田村宣を演じた吉岡里帆さんである。黒木華さんを初めて見た時に感じたものと同じ色を見た。それだけでも心いやされた。
だが、日本は本当に平和なのか、この程度のドラマに魅かれる国民は本当に愛を見失って渇望しているようにも思えた。それにしても、脚本家の大森美香さん、吉岡里帆さんがこれからの日本のドラマづくりには欠かせない人になる事は断言できる。波瑠さん、玉木宏さんに目を向けなかったのではない。回を追うごとにその成長は見せてくれた。少し物足りなさにひかれながら書いた。卒業生の平塚らいちょうを出し女性運動を予見させ、最終回は夫婦愛で占めたのは大森美香さんの優しさであろう…。すべてを見たわけではなく家人が見ていた時にちらちらと見ただけに的を得ているのかは疑問だが…。

人参をぶら下げるだけの政党、その人参は偽物で食べられない、言うだけで何もできない事を国民は知っている。保育所に入れなかったので日本は死ねと言う言葉に対して賛成した母親達、これらの人達に動物の本能である母性が全く見えない。まず、社会に子供を託するのではなく母親が保護しなくてはならない。日本人の、いや、世界の母親の知恵が見えない。今の日本の女性を見ていると種の保存と言う本能は亡くなっている、顔に化粧を塗りたくり、胸は大きくし、ウエストはくびれ、お尻は小さくしまっていて、足は白ネギのように細く、では観賞物になり下がっている。それらの人達が母になってもそのスタイルを維持しようと懸命である。それらの人達は頭が空っぽなイケメンに現をぬかしている、見てくれだけの関係が好まれている。本当の恋愛を知らない人たちである。深い愛情がない人たちに子をなして子のための生活が営まれるとは思ええない。知識は高学歴で多少は向上したがそれを知恵に変える方法を学んでなくて知恵を持っていない。知恵のない所に文化は育たない、日本の文化の停滞と後退の結果を今の日本人の姿として見える。政府は保育所、幼稚園、小学校、中学校は施設を充実させ無料で子供たちを受け入れなくてはならない。幼児教育の重大性を忘れはならない。高大などはなくても本人の自覚でいくらでも勉強できる、たとえば図書館に通いそこの蔵書を片っ端から読破していけば東大卒に負ける事はない。そこに垂れ流す無駄な金を幼児教育に回すことである。また、母親に対しては親としての躾をするだけの知恵を持たすために母性を発揮させなくてはならない。母性は大学教育では習得できない。生物の種の保存、オスは自分の遺伝子を残すために健康であるメスを選び、メスは強いオスを選んでいる。人間にはそれがなくなっている、見てくれだけで繋がっていては遺伝子の継承はかなわない。民主は人は金で働くと言う考えなのか、働く喜びを金に変える事は出来ない。人間には働く喜びを感知する能力を持っている。世の中に貢献しているその喜びで働いている人達がかくも多い事を知らない。すべて貧困の所為にしてはならない。私はまだまだその喜びを持って生きている人達を沢山知っている。子供を育てる事の喜び、子供のために汗を流す事のすがすがしさ、それは金では買えるものではない。今の日本に必要なものは国民が日本に生まれて幸せだと自覚する事、国は国民が優れている事を認める事、そこからやり直さなくてはならないのではないのか…。もっと自然から学ぶ事を怠ってはならない…。

葬儀も法事などで僧侶が経を読むのは亡くなった人へのものであるという考えは私にはありません。そこに集った人たちに感謝の心が命をリサイクルするものだと言う事を感じ取らせている事だと思っています。中有の旅の49日7回の経はその人の罪業を軽くし往生要集に書かれているような地獄へ落ちないようにとの閻魔大王(釈迦)に罪業の軽減を願い出ている事でしょう。私は煌びやかな袈裟をまとう僧侶を信じてはいません。その僧侶たちから法話を聞きたくもありません。私は経を学んだことがありますが、心には残っていません。だが、日本人の心にはそれは何時ももつていることなのだと思います。世界の宗教のなかに感謝と言う言葉がなくなって久しい、アーメンも題目も感謝の心を唱え命をリサイクルする事だと言う事を理解しています…。

民進党と名を変えても、維新は橋元氏の支持者によって当選しているし、民主は政権時に公約の総てを反故にしている事を国民は知っている。また、民進党には在日の議員があふれかえっている事も安保法案の時に明らかになっている。また、議会においては代案なき言葉の揚げ足取りに終始しまっとうな政治をしていない事を国民に知らしめた。新聞がみ弥週刊誌の記事で攻撃しているようでは退潮は避けられない。裏も取らずに言いたい放題で墓穴を掘っている。共産は支持者が増えてはいない、国会のデモ、沖縄のデモが後で位置を引いているのが共産と言う事も国民は認知している。国民は共産が独裁政党である事を知り始めている。安倍総理は衆参同日と言うのではなく1週間前後にずらせての選挙をもくろんでいる。衆議院の解散は消費税をしないと言う国民に問うための解散になる。その経済効果を世界が見ている。世界で安定しているのは日本だけ、世界は日本の動きに注目している。国の借金を1000兆円、NHKやマスコミが国民の借金と言う詭弁を弄しても国ではなく政府の借金である事に気づいている。消費増税はアベノミクスを終わらせる事を安倍総理は知っている。ドイツ、サウジ、ロシアの経済危機は続くだろうが、一番懸念しなくてはならない事はイランの核開発を許したアメリカであろう。中東における紛争をイランに任すと言う事になるとより混乱が始まる事は言うまでもない事だが…。

石川さん、ありがとうございます。私は日本人がなぜ、こんなにも感情をコントロールできない民族になったのか分からない。この手の問題に対してはなにも書かなかった。耳朶に感情的になってはならぬという声をささやかれた。これは民族の血が囁いたものとして受け止めた。石川さんの考えは心の襞にしみ込んだ。だが、私には今の日本民族は自分の命しか見ていない、まるで危機感もない、似非の平和のなかで惰眠をむさぼっているように思えて仕方がない。脈々と続いて流れていた血はもう途切れているとしか思われなくなった。大和の心も武士の魂も薄められてしまった。こころを心を養う事より物に執着してはそうなるのが当り前であろう。その証拠に芸術文化の萌芽が見えない。感情ではそれは育たない。知識により文明は作られるが、知恵で作られる文化がうまれる事はない。つまり文明に振り回されているからだ。まず、理性を取り戻し感情で物を考えない。白人が中朝韓がどうであれ民族として受け継いだ血を持って堂々と対峙する事が必要なのは言うべきもない。お人好し、いいえ、何も考えない自堕落な民族になりつつある。動物としての危機感のない民族は生きていけない、そのための自衛を整えることもしない民族は飲み込まれる。感情的になるということは動物がよく吠えるのたとえである。無関心と無視は異なる。大所高所に立って日本民族は人間とはこうなのだと言う見本を指示し、感情と言う悪魔のささやきから逃れる事をし、自分を律しなくては同じようなレベルに陥る事になる。私は国を思い叫んでいる人達を否定はしていません…。

今の日本人は右も左も感情的ななっている。冷静な見る目を失っている。私の血がここはもっと冷静にと囁きかけてくる。それは脈々と続いてきた日本人の血なのかも知れない。人間は理性をなくし感情に走ればそこで終わる。武士は感情では戦っていない。私は、今韓国問題について書き込みをしてはいない。それに付き合う事はその人たちと同じレベルに落ちると考えたからだ。それもそう囁く血があった。ここにねずさんが書かれている事は蚤が見て馬が走る事を見ないと言う事でしょう。日本人に問われるのは理性的に冷静に己を糺せと言う事だ。感情的になると言う事は自分の心を汚している事だと気がつかなくてはならない。その素地である文化は人間の知恵で作られる、知識で作られた文明に振り回されてはならないと言う事だ。大和の心、武士の魂、それは静寂の中で己が命を見つめることなのだ。洗濯を良くした清潔な布をまとってはいても心を柔軟にし清廉に生きることなのだ。そこには死を乗り越えた死生観が必要である事は言うまでもないが…。

「曇りのち晴れ まいあさ通信」2016/3/5

サッカー女子のなでしこはなぜ負けたのか、卓球女子はなぜ勝ったのか・・・。

サッカーは三試合とも5分も見ないで辞めた。かつてのなでしこの面影はまるでなかった。追われる立場を全く理解していない、追う立場の人達の立場より倍は努力し研究しなくては絶対に勝てない事を忘れていた。また、それが出来ていないプレッシャーが体の動きと連携に出ていた。覇気もなく闘争心も見られなかった。それが勝とうと言うのではなく負けたくないと言う動きに終始した。相手は研究に研究を重ねて対戦していた。歯車が合わないのは当たり前である。そんな時にはまず基本に帰ることが第一であると言う監督のアドバイスがなくてはならない。負けるべくして負けた。あらゆるスポーツは技術もさるものだが、頭の良さで勝負が決まるものだ。人間は自然の中で生死をかけて戦う野生の動物の本能から学場なくてはならない。
卓球は各選手がミスをすると立ち止まって基本に帰っていた。心理戦を見事に把握して戦っていた。試合を捨ててなかった。プレッシャーを闘争心にえていた。個々でありながらチームワークは勝つという連携が出来ていた。強靭な精神力を維持していた。目は死んではいなかった、獲物を狙う集中力を持っていた。
追う立場と追われる立場と言うだけではなく人間を洞察するものがなくては勝てないと言う事を考える必要を感じた…。
この差が結果として現われたと言えよう。



石川さん、ありがございます。人口減少と少子化は先進国病の様だと理解しています。満ち足りていれば人間は動物としての本能を喪失する、あの戦後のベビーブームはどうして起きたのか、それは収入に裕福であったからなのか、その事を考えなくてはならない。中高卒で手に職を着けていた人達はそれなりに充実した人生を過ごしてきたと思う。私の時代では大学進学率は10パーセントを前後していました。今、なぜ非正規社員が増えたのか、大学とは名ばかりで専門的な知識もなく、人間とはと言う疑問にも答えられない人達がところてんのように吐き出されている。この人たちには悪いがこれではろくな就職も出来ないのは当たり前だと思う。非正規がやまでしょう。この点で日本は完璧に狂っている。今、50%の大学進学率、そこから排泄される人達のなんとレベルの低いことか。これは政府の責任ではなく、親が子供たちの個性も能力も見抜けずに大学へ行かせればいい人生が待っているという幻想と錯覚にすぎないのだ。子供たちも自分の分とか背丈を見極める力がなく自分の能力を知らないという事の査証でしょう。文明を作るのは知識で、文化を作るのは知恵と言う概念がなくなっているとは言えまいが。遊びとアルバイトでの大学生活に何の疑問を感じないとはあきれる。奨学金を貰いながら返す段になって利息が高いのと組織にケチをつける人達がなんと多いことか。なかには勉強をする時間が欲しいからと短時間で稼げる風俗でアルバイトをし大企業を目指す学生もあると聞いた。私ならこのような人は絶対に入社をしてほしくない。それらの個人の思いをどうのこうのと言うつもりはない。が、この問題を政府とか社会の所為にしては絶対に解決はできない。これは個人、人間として何が本当の生き方なのか、幸せなのかと言う哲学の問題だと思う…。この日本国に国民は何が出来るのか問い糺す事が必要なのだと言えまいか。危機感を持たない、自衛の心もない人達に結婚し子孫を繋げる事は難しいと思える…。石川さん、汚しました。お許しください。

馬場さん、ありがとうございます。私に愛国とは何かと問われらたら、ケネディーの言葉を思い出すでしょう。「国に何かをしてほしいと言う前に、国にあなた方は何が出来るのか」そのような意味の事を語った。私に何が出来るのかを考えるでしょう。利害でものを考える人達が多く、政治の不備の所為にして生きのびようとする人もなんと多い事でしょう。私は大和の心も武士の魂も先祖から引き継いでおります。兄は戦艦大和の特攻の水先をした潜水艦に乗り沖縄戦に赴きました。未だに帰ってきておりません。老いさらばえて函館戦争に赴いた血も流れています。国に対して何が出来るのかを悶々としながら考えています。民族の次の世代に今の日本を残すのが私たちの役目であると言う認識はあります。死生観は持っています。その時が来たら武士らしく散りましょう…。

石川さん、ありがとうございます。在日と言う事で拒否反応をしてしまう。考えたくないと無視してきました。まず民団、総連を日本から駆逐しない限り彼らは守られて繁殖し生き伸びる事でしょう。未だに朝鮮進駐軍と同じように徒党を組んで有利な交渉を進めている。日本政府による庇護によりますます民族の血による侵略が加速している。これは侵略戦争なのである。日本人はそこのことを全く知ろうとしない、知らされないからではなく、その危機感も持たず感じ取る本能すらもなくしている。これでは日本と言う国はなくなってしまう。私は、今外に出てみると何と背の高い人達が多くなっている事に驚く。維新の折りの日本民族の平均身長は150センチであったが、朝鮮民族の平均身長は162センチであった、背丈が伸びたとは言え、背の高い人達に朝鮮民族を見る事がなんと多いことか。体格においては日本民族はかなわない、が、脈々と流れ受け継いだものは精神による清廉な佇まいと人の命は何人も同じと言う考えから生まれるものだ、それを受け継いでいる、だが今を見て、自分の命だけは永遠とする考えが跋扈している。それを守る事に汲々として現実が見えず将来を見据える事もなくしている。在日の問題も耳をふさいでいる。本能の自衛すら喪失しているといえる。日本人はその本能を取り戻し日本人としての矜持を持って総てのねつ造による被害者ぶる事に対して果敢にこの国を民族を守らなくてはならない。まず、総連、民団の指示でうごめいている反日日本人の人達の一掃が急がれる…。高市氏の放送法の解説を問題にするより民主の松本氏が電波を止める言った事に対しての反応はマスコミにはなかった、その事を忘れ田原氏をはじめキャスターが文句を言うのはおかしくないか、日本はもう壊れている。正論などは存在しない。ただただ民族の侵略を加速するものでしかない…。

地球上の動植物はすべて絶滅種になろうとしている。それは人類が行っている金儲けの為の犠牲です。動植物は何に支えられ生きてきたかを考えなくては解決しない。地球温暖化なる金もうけのためにCO2を削減している事に由来する。CO2が減少しては食物は育たない、それを食う動物は死滅する、人間もその例外ではない、人間が食べている野菜はCO2なくして育たない。人間は自然を破壊しているのです。CO2は敵ではない、もっとも必要なものなのです。また、自然エネルギーの太陽光、風、水力などによる自然破壊も全く語られていない。もっと冷静に自然と対峙する事が必要ではないのでしょうか、これはトラだけではなく人類も同じ道をたどると言う事です…。

この書き込み自体が分からない。あれが悪いこれが悪い、この人がこういった、この人もそう言っている、統計はこうなっているだから日本の子供の貧困率は最低だ。山本太郎が言っているからきけ、小沢一郎は特別会計をなくすると言った、でも出来ていない。なにを言っているのかてんでんばらばらで取りつく島がない。まずひとつずつ問題を提議して一つのテーマを掘り下げて安倍氏はここが悪い、ならばどうしてほしいか、この問題に対して国民はどう思うかを問い考ええる事から始めなくてはなにも始まらない。企業が正当に税金を払わず、官僚が1000兆円を無駄遣いし借金が出来ている事は国民は知っています。すべて安倍氏が悪いという事なのですね。これは主権者たる国民の責任ではないのでしょうか。また、日本国民が選んだ総ての議員の体たらくのせいではないのでしょうか。出されて皿の上にあれもこれもと盛りだくさんでなにを先に食べていいかわからなく、ここに書きこみました…。今、下校の子供たちを見ているときらきらと輝く瞳にホッとしていますが…。ここに登場している人達は子供たちと本当に接しているのだろうかという疑問がわきます…。特に山本太郎氏は統計とか書かれた記事ではなく子供たちの中に入りその実態を知っているのかということにも疑問を持っています。私は戦後、口から出る言葉は「飯食ったか」という言葉があいさつになっていた世代で育ちましたから、今の子供たちには敏感になっています…。

ロシア、中国をみても産業は育たない事を感じなくてはならない。マルクスの「資本論」を教科書にしているが、そこには人間の能力の違いが書かれていない。出来ない人と出来る人が一緒では当然出来る人から不平が出るのは当たり前。また、マルクスに「資本論」を書かせたのはロスチャイルドだと言う事も知らない。共産主義もその手の中にあるのです。無論、相対性理論を書かせたのもロス・・・です。つまり彼らの生活を支えていたという事です。反対勢力を作り対立がなくては儲からない、だが、もうその必要性はなくなり共産主義国家は見捨てられ疲弊の道をたどる運命だと思っています。この情報化の世界においてすべてが見透かされているという事でしょう。これからは民族戦いに入ると思っています。これは古いようですが、歴史は繰り返す、今の難民を見れは、これは民族の移動に見えてしょうがない。間氷期、氷河期に起こった世界の民族の移動が世界地図を変えたように、その前触れのように感じています。また、石炭から石油に核エネルギーへとかわったように次なるエネルギーの出現によって新しい産業革命がこれからの世界をリードする事でしょう。私が懸念するのはCO2の減少により人類は滅亡の危機にある事です。削減が温暖化になればアメリカ、中国は人口の大幅な減少にみまわれるでしょう。それに引き換えロシアのツンドラ地帯は穀物地帯人変わるでしょう。さて、世界の人達はどう考えるのでしょうか…。地球上の動植物はCO2で生きている事を殆どの人は知らない。

ノルマはあるでしょうね。全国に共産のコミュニティーがたくさんあるが集まるその面々は70歳を超えた年寄りだけ、一般青年は一人もいなく読んでいない。ルイセンコ病にかかっているのはそれらで支持者が増えているとは言えない。在日の支持者がデモやパァホーマンスをやればやるほど青年は離れている。それは京都市長の結果に現われた、慢心がなせるものである。沖縄では3万人と言われている住民移動があったと言われている、プロ市民には限界がある。今政界を俯瞰してみると、社民の消滅、民主の凋落、維新の瓦解、共産の減速が明らかに見える。マスコミによる自民たたきがあっても安倍総理の支持率が落ちない、政府支持は変わらない、いかようにマスコミがあげへ足とりの政党をさもそれが正しいと報道しても国民は信じなくなっている。ツイッター、FBによる情報が世論を牽引している事に気づいていない。戦争法案と言う批判がより国民に乖離を作った、また、その事で各政党の在日議員の姿が明らかになり馬脚を現し国民の知るところとなり嫌韓と相まって拒否反応を示している。マスコミが都合のいい、中国の人権侵害、韓国の歴史歪曲による被害者意識のゆすりたかり、北朝鮮の独裁による粛清を報道規制している事も国民は知るところとなって少しずつ正常なものの見方が出来るようになっている。

日本の大学進学率は50%、後の50%は就業している。その彼らが払う税金が各大学へ生徒一人当たり年間東大京大を筆頭にしてランクにより800万円から200万円の教育補助として使われている。大学生もその親もその事を知らない。馬鹿でもチョンでも奨学金は受けられるが、借りておいて支払う段になって制度がどうのこうのと難癖を付ける。せめて、九九、ABC、当用漢字の読み書き、が出来る生徒たちがこの国のために微力なれど尽くしたいと言う人達に奨学金は絞ってほしい。留学生の事をとやかく言っているが、まず、今の日本の大学のレベルと生徒の学力を問題にして、せめて家貧しくして学おこたりて言う事は避け、勉学に励みたいと言う青年の思いにこたえ、また、その人たちの汗から生まれた税金を使うならばその人たちの分まで勉学にいそしみ社会を牽引する事で返すと言う精神が欲しい。もうひとつ言うならば無税の大学生と同じ22歳まで中高卒の就業からの所得税を取る事は辞めて、その金が自己研鑽に使えるようにすべきではないか…。

石川さん、ありがとうございます。国民は現憲法が違反である事を全く知らない。言われる通り「大日本帝国憲法」は生きています。まずこの欺瞞に対して政府も国民もそれを問わなくてはならない。論客のなかにもはっきりとこれを指摘する人は少ない。押し付けられた憲法をありがたく頂いているこの国は真の独立をしていないと言う事でしょう。この日本人のふがいなさを嘆くばかりではなく、今、この国がありて我があると言う思いを広く国民は共有し押さえつけられたすべての物をはねのけ立ち上がらなくてはこの国はアメリカの属国からの解放はない。また、世界に対して日本の姿を見せなくては信頼も信用も勝ち取る事は出来ない。憲法を護憲とする人たち、9条によって日本が平和であるとうそぶく人達は飼いならされた動物園の猿に等しい、日本人は格子なき牢獄にいる事を知らない。GHQがいかに洗脳しようとも、日本人の体に流れている血液までは変えられまい、脈々と続いた日本人の精神風土までは壊せまい。今その事を忘れているがその種は日本人すべてが持っている、それにしても芽を出すのが遅い。家族主義から個人主義、個別主義のなかにそれが芽を出し花開かないと言う事は実証されたとするならば一刻もそこに帰り早く取り戻し変革しなくてはならない。行ってみればGHQは日本人を精神病患者にしたという事だ。委縮させて自らを解放させなくしたと言えよう。安物の日本憲法で治療をし、完治する薬の大日本帝国憲法では治療する事を患者に施さなかったという事だ。原爆投下にしても、占領時のあらゆる政策にしても日本人をモルモットとして見ていたとういう事だ。それを感じて乗り切るには、敬う心、感謝の思いを取り戻し精神の正常化を図らなくてはならない。それは大和の心、武士の生きざま、その原点である死生観を持たなくては始まらない…。石川さん、汚しました、お許しください。

まず、いじめにあっていると挙動不審、生返事、何かにおびえる、瞳をそらす、学力が落ちる、親がその変化を見逃してはいけない。私は子供が朝起きたときの瞳を親は絶対見ろというのも、体、心が健全であるのかを感知することで言っています。また、顔では演技をしますので後姿に心の闇を見つけることです。いじめの予知があれば親が進んで不登校にすべきです。子供を守るのは親でなくてはならない、先生などに守れるはずがないのです。1年2年の勉強の遅れなど人生に比べれば大したことではないという考えで子供を守ってほしい。戦後私も朝鮮人の子にいじめられました。友達がたくさんいましたから助けられれました。親は子供を守るために躊躇なく不登校にすべきです。そんな子を私は集めて演劇を作る楽しさをともに作りました。「くよくよせんのよのよ、99が出来んでも漢字が読めんでも構わん」勉強は出来ませんでしたが、苦手の教科は教えました。その子供たちはみんな県立高校へ進学していきました…。学校、親以外に長く生きた人達が受け入れる場所を作るべきです。不登校、それも生きる権利です…。

果たして人類は進化したのでしよぅか、16000年前のものが東北で出土しています。これを見て私は唖然としました。今の芸術家も作れないものです。東北、北海道ではその時代に黄河より文明があったとしか理解できませんでした。シュメール文明にも日本の影響は表れているように思えます。かな文字が重なるのです。また、その文字が神社に残されています。ギルガメッシュ叙事詩には旧新の聖書かれていることが書かれています。今、私は地球の自然を取り戻す「砂漠の燈台」という物語を書いていて昔の人たちはどのように自然とかかわり一体化していたのかを調べていたらシュメール文明にたどり着き、また、日本の縄文期の文明にぶつかりました。74億の人間がどのような無茶をしても地球はびくともしませんが、自然の中の人類として何をすべきかを書き進めています。そこで感じたことは、先祖の遺伝子の役割が現在も続いていることでした。それは無意識層の阿頼耶識によって脈々とつづき今の人類を形成しているということでした。今科学は死後の魂についてその解明の研究をしています。それは遺伝子の行方を追っているということです。私は欲心が肥大して文明を作ったがその文明によって人類は滅びると思っています。人類は進化していない、これは物書きの戯れとして読んでください。    ここに16000年前の出土した土偶を乗せます

ねずさん、江戸時代の280年間鎖国をしていましたが、世界の動き、他国のはすべて把握していたということでしょう。他国の植民地政策はとっくに知っていた。ロシア、アメリカが日本に近寄ったときにその目的、奴隷船であることも認識していた。イギリスと薩摩が戦った時にイギリスはただの地方の一藩がここまでやるのかという恐怖を感じ、日本国の強かさを実感した。イギリスはしぶしぶ条約を飲んだ、アメリカとの条約もいったん譲歩したが元に戻している。私感としては維新に否定的です。それは維新からの動きが正しいかという問題です。以前幕末を憑かれように書いたことがあります、その結論として江戸時代の方がくにこみは幸せであったのではないかと思ったことです。文化は華開き、身分の差別もなく生きた人達の声が届いていました。鎖国政策を取りながら情報はしっとり把握し貿易をしていた。当時のシナのことも知り尽くしていた。属国の半島の人たちのことも熟知していた。維新の後、福沢諭吉氏が「脱亜論」を書いていることが、日本が正しく情報を集め精査していたことの証明です。

戦後は、ギブミーチョコレイト、チュウインガム、プリーズ。みんな生きる為に必死でした、今思います、当時の子たちは20-30が高校進学、10パーセントもなく大学進学。あとはみんな就職、彼らが万博、オリンピックを支えた。IQは今より高かった。日本が堕落したのはGHQによる公職追放、精神を持った人たちがすべて消されて2番3番の人たちが公職についてややこしくなった。縄文期から人間は進化していない。5000年前に脳腫瘍、白内障の手術が行われていた。文字もあり、暦もあり、ワインもビールもあった…。今の人間は平和も作れないほど退化している。ジェントルマン。プリーズ ギブミィ サムマネーではなく、縄文期、北海道、東北の文化を掘り起こして人間がどのようにして生きていたかを知り、せめて戦争のない世界を作るという進化がほしい…。

もうすぐに学歴が何の価値もなくなる時代が来ますよ。今の時代は勉強をしようと思えば何も大学に行く必要はありません。私の二男は夜間に通わせていましたが、4年間飯は食わす代わりに私の蔵書を片っ端から読むことを約束させました。今では演劇の台本、演出をしながら郵便局に行って3人の親になり、子供が大きくなったらまた書き演出をすると言っています。帝大を筆頭に国民の税金が一人当たり年間800-300万円補助として払われているそのことも知らない親子には大学に行ってほしくない。また、学費がたらないと風俗へとは学生の本分を忘れていることも甚だしい。とかく奨学金のこと、利息が高いのと文句を垂れている人たちは4年間まとも勉学に励んだのかと問いたい。利息はアメリカの方がはるかに高い、卒業時には利息も含めで2500万円の負債を背負うのがアメリカの奨学金制度なのだが、それすら知らないぼんくらがいくら勉強しても就職が出来ないだろう。卒論にしても教授が本当に読んで審査していると思えない、卒論屋に金を出して書いてもらっている学生がなんと多いことか。返済なしの奨学金、家庭の事情、人間性、勉学が優れていれば国民も納得して税金を差し出すことでしょう。労働人口が減る、当たり前、学卒という紙切れで生きていこうとしている人たちが多すぎるということです。今の大学は教授も学生も時には娼婦になってでは日本は救われない。中高卒で所得税を払ってバカな学生に使われていることにも大きな矛盾を書くじる。苦学生、今と昔は大違い、彼らには人間としての味があった。さみしい風が吹いている、学生諸君、すべてがAIロボットに代わる前に人間でなくては出来ないものを思考することだ。私の様な作家もいらなくなりロボットがノーベル賞を貰うのも時間の問題なのだ…。

この機会に、ソーラーなどと言う自然エネルギーの欺瞞を払拭しましよう、また地球温暖化というウソの美名も反故にしましょう。CO2を削減すればするほど地球は寒冷化のスピードを増します。ソーラー、風力、は自然を破壊していること、また、CO2をより多く吐き出していることからエコと言えない。エコでない方が地球の生物にとっては大切なことなのです。環境には利権が絡みついています。もうだめだぁーとあきらめの心境です、が、CO2をこれ以上を削減したら生物は全滅します。だから年寄りも大きな車で排気ガスを蒔き散らかせているのです、これは行き過ぎなのかな、生物は文明を高度にして自滅しています。縄文期以降人間は一歩も進化していません、進化とは平和な世の中を作る精神を持つことなのです、まだまだ程遠い。昔、山家という人たちがいました、その人たちは国籍も戸籍も名前もなく生きていました、自由人でした、本来人間は動物としてこのようにあるべきなのだと思い始めています…。嫌な世の中からの逃避かもしれませんが…。

「竹取物語」これが書かれた時代に月のに帰るという発想があったことを驚嘆します。宇宙人が地球に来たということを物語っている、つまり、5000年前シュメール文明を作った人たちが宇宙からの人たちであるということを知らなくては生まれるものではない。ここではっきりと宇宙人が存在することを知っているのです。宇宙人説は流れていたが真意はわかりません。シュメール文明は宇宙にまで及び地球と月がどのようにして生まれたのかを解き明かしています。そして、他の水金地火木土天海冥を知っていたのです。月の満ち引きを計算してひと月が28日と定め暦を作っています。1週間を日月火水木金土と星の名を当てはめています。地動説を知り、スバルを見詰め名を付けています。この文明はすごい、動物、植物の化石でできたもの、石油、石炭を一切使わずに今に勝る文明を作っているのです。イラクとクゥエートに至るチグリスとユーフラテスの川に挟まれた三角地は肥沃な大地で農作物は大きく育った。メソポタミアとは川の間という意味、そこでの文化は水と生い茂る緑の大地の中に存在した。今は砂漠と化しているが、日本は緑の恵みを受けて縄文期と変わりなく存在しています。16000年前に日本には文明があったという出土品が出ています。「竹取物語」の話は現実味を増してきます…。望月の今、心を月の空に向けてかぐや姫を思うのもいいかもしれない…。

なぜ、大学へ行くのか、今の大学にそれほどの価値があるのか、ねずさんは昔は出れば即戦力になった、私の知る限りでは即戦力にはならなかった。終身雇用の企業は金と時間をかけて初めて仕事ができる人に育てていた。今のように出たからと言って偉ぶる人はいなかった。新聞社なども2-3年は何も記事を書かせず現場へ出向き記者としての勘を捕まえさせていた。公務員も市民課の連中は写本のために硬筆を学ばせていた。私の見た世界はすべてが仕事に慣れる期間を作り教育していた。これは今と違うことは当然なことです。私は国が学生の補助するのは現行でいいと思っています。大学生一人に1年間で東大を筆頭に1000万から300万国民の税金が支払われています。教育の均衡とは名ばかりで、中高卒の人たちが所得税を徴収されその税金がそれに使われています。これでいいのでしょうか、その人たちをほっておくのですか、これは差別です。果たして今の大学生は勉学に勤しんでいるのでしょうか、留学生の事を言われていますが、まずこの不平等を正してからにしてもらいたい。みんな一律に出来が悪い、奨学金の返済に文句を言う、大学の4年間で何を学んだというのでしょう。中高で就職した人たちが支えていることに心の痛みを感じない人間に何ができるのでしょうか。甘やかしすぎ、過保護、これでは国家の教育とはいいがたい。現行の大学制度を改める、半分いいえ三分の一へらす、この先学歴社会がなくなることはわかっているはずであるのに一枚の紙きれのために教育教育と騒ぐ愚民には愛想が尽きている。今企業は採用に当たって調査会社や探偵に2-3代前のまで調べさせています。コネ、の社会に逆戻りをするでしょう。日本のこの杜撰な教育制度を変えないと留学制度の問題も解決しません…。

読書というのは読んで納得するような作品は碌なものではない。反省をさせられる、そんな作品でなくては読書の時間の無駄。果たしてボストンにいて人間のあたらしい面の発見、世の中の新しい局面を発見したのだろうか、書くということはそれを必然としなくては書けないものなのです。読者はその必然をこころに置きたい、それを考えたいから読むものなのです。奇をてらった新鮮さだけでは時代を超えての遺産とはならないように思います。この人はある時潮流を作ったがその流れは枯渇に向かっている…。それは大江と同じで政治に投げかける批判を、小説の中に人間の情感として書き読者に感じ取らせ読者の心に新しい思いを起こすということなくして文学とは言えない…。

南、北、月番で150名の与力と同心で江戸八百八町の治安を守っていた。奉行は最高裁判事、与力は判事、同心は警視、刑事、番屋、今の交番があり、時刻で大扉が閉まった。当時の職人をとってみれば3時まで仕事をして湯屋で汗を流し、家でかかあと子供たちと過ごして夕餉を食べ、吉原へ繰り出すという、今の男たちには羨ましい生き方をしていた。かかあは何も言わなかった。その頃のかかあは亭主を食べ物で胃袋を掴み、遊女に負けぬ床技で亭主を尻に敷いていた。亭主はかかあが産んだ子は誰の子でも自分の子として育てた。町家の子女は歌舞伎役者に入れあげていた、今のアイドルのように。乞食はいなかったし、浮浪者の子供もいなかった。平和な風景がそこにあった。文化芸術はそんな中、幕府の庇護もなく育った。今、行政が文化を、文化は行政の力が作るものではなく住む人の心から生まれるもの。平和に時間の中に江戸の暮らしは栄えていた。時代劇などで語られるものはすべてが嘘。維新を誰が望んでいたであろうか…。その名残の遺跡がここにある…。江戸を調べたけれど時代物は倉敷代官所炎上しか書いていない…。

皆さんが言われる通りです。シナ、朝鮮のDNAは日本人にわずかしかみられません。渡来と言うのは半島には誰も住んでいない時期が長く続いていました、そこで日本の原住民がわたって田畑を開き生活をしていたのです。そこで戦火に会い帰ってきた人たちを朝鮮の渡来と勘違いした歴史学者が多かったということです。日本人のDNAを見てみるとユダヤ(この中にはシュメール人もふくまれます) トルコ、インド、インドネシア、ベトナム、これは当時は名前がついていません、が多く入り込んでいます。日本民族は多種の混血であったというのが定説です。シュメール文字が神社に残り、ユダヤのヘブライ語が日本語になっている数はすごく多い。今問題になっているのはシュメール文明にも日本の文明のかかわりが多いいと言うことです。それはシュメール文字に日本のカナ文字使われていることがその原因です。私はまさにそこを書いていたのですが、古事記、日本書紀に触れなくてはならずにそこは文化庁の研究に任せるとして書きませんでした。韓国ではありませんが今まで及びもつかなかった古代が明らかになるにつれファンタジーになる恐れがあり辞めました。が、縄文期が出土した土偶は妊婦の像であることには驚愕したのです。そこには今考えられない人たちの命が生き吹き、命を大切に次世代につなげる愛が確かに存在していることでした。縄文期18000年前のものがどんどん出土しています。日本に文明があったことは確かです。山形無、秋田、青森、そして、北海道にも、その調査もこれから本格的に始まることでしょう。当時は寒冷化と温暖化が繰り返しています。大陸は凝っていてなんかはなかったということです。海からの渡来が主だったというのが定説です。今、漢字が果たしてシナからのものなのかを精査しています…。

今はそうなんですか、これらの白黒写真は撮影時に絵師が傍にいて色付きで描いていました。カラーにするときにはその絵師が描いた色に素ずいてPCでカラーにしたものです。言って見れば写真がカラーになることを予測して、それをカラーにすることを計算して、傍に絵師を置いていたと考えられます。維新前の薩長の武士の写真も、維新後の日本の風景も白黒をカラーにしていますがそれはそばにいた絵師の力です。今はPCで簡単にできるということは知りませんでした。私個人としては色黒に深みを感じイメージ―が湧く方なのでその方が好きです。江戸の風俗の文化はそこに人間を感じ取らせてくれるものとして好きでした。大夫になる過程、そこに広がっていた規律と遊び心、それを見るには浮世絵、特に春画がその時代を色濃く描いてくれています。広瀬さん、こんな時代に生きたかったと、ありがとうございます。


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